2004年インドネシアサーフトリップ バリ、ロンボク、ジャワ、ニアス編 5月16日〜7月12日
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5月16日から約2ヶ月インドネシアをサーフィンしてきた。 バリ、ロンボク、ジャワ、スマトラ、マレーシア、ニアスと忙しく移動してきた。 なんで波のないマレーシアに行ったかというと、なんと今年の2月から ビザ無しだと1ヶ月しかインドネシアに滞在出来なくなったからだ。 まあ、おかげでペナン島のジョージタウンを満喫できたので、旅的には良かったけどね。 5月17日。バリのクタに着いてビックリ。下水工事が大規模にされていて、 町全体が滅茶苦茶にホコリっぽくて最悪。 バイクで街を走ると目にホコリが入って大変だった。 |
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| 5月18日。ホコリの嫌いな僕はすぐロンボクに移動した。 北国に住む僕にとっては半年ぶりのサーフィンになるので、しばらくはグルプックの優しい波で リハビリ的サーフィンを楽しみたかった。グルプックのプリギーは湾の奥にあり、 断崖絶壁に風がさえぎられる為たいがいグッドコンディションだ。 |
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| 5月19日。プリギーでサーフィン。頭位で本当に優しいファンウエイブだった。 僕はここの波が大好きでロンボクに来るのが今回で4回目になるが、 プリギー用に今回は6,3のファンボードを持ってきたけれど、 やっぱり大正解だった。 ファンなオープンフェイスを無理無くカッ飛ばせて、1日目」は大満足におわった。 5月20日。朝起きてビックリした、すごい目やにで目が真っ赤になっていた。 やっばー!結膜炎やー!こんなトコで、でもどうしょうもないし。 とりあえず海行こかってことにしてサーフィンすることにした。 プリギーはこの日、がら空きで頭のグッドコンディション、 目の不調をわすれてサーフしまくった。 夕食後ローカルのリーとライブに行った、やっぱり生演奏はいいなあ。 いつかは僕の居酒屋でも生演奏やりたいと思っていたので、かなりいい刺激になった。 5月21日。今日は小さい!腰たまーに胸。しかし形は最高。 ロンボク行きのフェリーで一緒だった新婚旅行中のツカサとナルミたちとビデオを撮ることにした。 2時間程すると潮が満ちてブレイクしなくなったのでサーフィンを終えたあと 近くのバティック工場にバティックを買いにいった。 僕は色使いのバグースなガルーダのバティックを一枚買ったが、 ツカサたちは新婚旅行のお土産にと10枚近く買っていた。 5月22日。目の調子も悪いので今日バリに戻ることにした、 10時出発なのでそれまでサーフィンすることに。 今日はワンサイズUPの胸肩のグッドコンディション。そしてなんと4人しかいなかった。 夜明けから8時半まで4人だけでサーフィン、4人とも大満足で終わった。 夜8時前にバリクタのお気に入りのロスメン『リタハウス』に無事到着。 部屋に着いてすぐ医者を呼んだ。24時間対応の『インターナショナルメディカルクリニック』 ここはJCBカードの付帯保険でキャッシュレスで往診してくれるので旅人にはお奨めだ。 5月25日。23日から3日間ロスメンで療養した。目が痛いので本も読めないしホコリが怖いので 外出もままならず、ヒマーなヒマーな3日間を過ごした。 大分調子が良くなった3日目の夜、『イカ』に食事に行くと、おもしろそうな3人組がいたので 声をかけると思ったとうり面白い方々だたのであっと言う間に打ち解け、 翌日から一緒にサーフィンすることになった。 5日間一緒に遊んだのだが、話の流れで、ナント共通のサーフ友達が いることがわかり、『類は類を呼ぶってホンマやねー』と大笑いしたのであった。
翌日からは旅行代理店などでバリ〜ジャカルタ、ジャカルタ〜メダン、メダン〜ペナン ペナン〜メダン、メダン〜ニアス、ニアス〜メダン、メダン〜ジャカルタのエアーチケット の手配やら、ニアス用のサーフボードを仕入れるためにあちこちのサーフショップを廻ったりと 忙しい毎日が続いた。 当初、旅費を浮かすためにスマトラのシボルガ港からニアスのトゥルクダラム港まで船で 行こうと考えていたのだが、色々情報を仕入れるうちに、シボルガが旅行者にとって かなり危険な街であると解かったり、通常8時間程の船旅が機械系のトラブルで15時間 もかかった話、それに、一番やっかいだと感じたのは、ボロボロの難民船をイメージする程に 不潔でゴキブリがわんさかいると言うことだった。
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| 6月11日。頭半のとてもグラッシーな波。なぜかサーファーも少なく乗り放題。 6月12日。オーバーヘッドのいい波、かなり気持ちいい。 ところが、この4日間いつも昼頃からオンショアが吹き、2時頃までには 危険な波に変貌してしまっていた。 この日、チマジャで仲良くなった日本人が、ワイプアウトして息苦しさにまけボトムを足で蹴って浮上 しようとしたとき、ウニの巣を蹴ったらしく10数本もウニ針が刺さっていた。 幸いローカルのアグスがウニ取り名人なので取ってもらっていたが、裁縫針でほじくりだされ、 血だらけに、、、長いのは1センチもあった、ありゃー痛いだろーなー。 |
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6月16日。朝5時、寝不足でボーッとしながらメダン空港にたどりついた。 新生BANKCARDを使い、空港のATMで現金を引き出したのだが、ボーッとついでに カードを取り忘れてしまい、あっと言う間にATMに飲み込まれてしまった。 ヤバイ?かなー。こっちの人間すごく器用だから、暗証番号読み出して引き出すんじゃないだろうか? などとボーッとした頭で考えたりしてた。まさかとは思ったが一応カードはストップしておいた。 ニアスのグヌンシトリ空港まではメルパチ航空のプロペラ機で約1時間のフライト。 ボクはこのプロペラの回転音がとても好きだ。内臓に響く、なんつーかバイクに似た雰囲気がある。 ソラケビーチではマルタロスメンにした、ここはソラケのブレイクが真正面に見え、高床式コテージには オーシャンビューの広々としたテラスがついていたからである。 午後2時、早速サーフィンにいく、ローカルにあそこから入ればいいと言われた場所にくるが、、、 どー見てもドライリーフの上でドカンドカンと波が割れていて、入れそーなところが見当たらない。 リーフの上で5分、10分、15分、うろうろするが、よくわからない。 その時、やっと1人の白人がはいってきたので、素早くあとを追いかける。 なんと、わからない筈である、幅2メートル程のパスがS字になって沖に切れ込んでいたのである。 強烈なカレントに乗ってあっと言う間にアウトに出れた。 ラインナップにつくと、ローカルのダニエルがいた。ロンボクで出会った気のいい人で、 当時バリでよく一緒に遊んだナイスガイだ。早速、一緒にサーフィンを楽しんだ。 この日はダブルからダブルオーバーのコンディションで、7人しかサーファーもいなくて乗り放題。 ソラケはテイクオフからいきなりチューブになる。乗ってみるまでは、ダンパーに見えて とても、ぬけれそうに見えないのだが、テイクオフするとスーっと心地良く加速する。 さすがに世界的ライトハンダー。 |
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6月17日。今日もダブルくらいのグッドコンディション。 朝6時にラインナップへ、結構みんな朝は遅いようで、7時位から混雑しだすまで、 早い時間に、いい波を数人で満喫する。 海からあがると、物売りがうるさい。いろんな人にニアスは人間がうるさいと聞いていたが、 こういうことだったのかとわかった。 あまりにもうるさいので、また海にはいった。 入って2本目でワイプアウトした時、激しくサーフボードに引っ張られていた足が急にかるくなった。 何が起こったのか瞬時に理解出来た。リーシュコードが切れてしまったのだ。 泳ぐしかない。次から次に来る波でサーフボードはあっと言う間にインサイドへ、 泳いで泳いで泳ぐけれど、一向にサーフボードに近づかない。 サーフボードはソラケのインサイドブレイクまで流されていき、そこでサーフしていた白人が つかまえてくれた、しかし、泳ぐって疲れる。 教訓、もー少し泳ぎの鍛錬しなあかんなーと思った。 あーまりにも疲れはてたので、この日のサーフは終了。 ビール飲んでボーすることに。 |
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6月18日。1日中頭半のグッドコンディション。風も吹かないので3ラウンドも。 6月19日。この日も1日中オーバーヘッドのグッドコンディション。 贅沢だけれども、同じ形の波ばかり、少々飽きた。 |
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| 6月25日。深夜グヌンシトリ空港に向う、ニアスで知り合った高知のアキオを入れての3人だ。 ラグンドゥリベイからグヌンシトリまでの道のりは穴ぼこだらけの未舗装が続き強烈に疲れる。 5時間程のドライブのあと、やっと空港に到着した。あと1年はこの道は通りたくないと思う。 6月26日。午前11時、無事メダンに到着。 これでニアスの旅は終了した。当初の予定ではこのあと、一旦バリに戻りGランドサーフキャンプに 行く予定だったのだが、予定外に旅費がかさみGランドは断念することにして、 再びチマジャでサーフィンすることに。 チマジャに行ったことのないアキオと行くことになった。 タカシは一旦バリに戻りロンボクで友達と合流するということで。 タカシとは最後の晩飯になるので、この夜はゴージャスにメダン名物のパダン料理に挑んだ。 パダン料理とは、色んな料理がテーブルいっぱいに並べられて、 好きな料理を好きなだけ食べる。食べた分だけ請求されるというシステムになっている。 僕は、特製のからーいサルサをつけて食べるナマズの唐揚げが気にいった。 |
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| 6月27日。夜遅く、チマジャにつくと、ホテル ポンドックはいっぱいで空き部屋がなっかた。 近くのロスメン ミラサに部屋をとった。 ここはホームステイ感覚のアットホーム宿で、とても気にいった。 |
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| 6月28日。オーバーヘッドのいい波。 サーフィンしてると、ニセコのカフェでシェフをしているガッツに会った。 1週間ほど前にチマジャにきていたらしい。 ガッツは旅費を稼ぐために製薬会社の薬の仕事をしたそうだ。 話にはきいたことがあったが、本当にした人に初めてあった。 次回の仕事は、僕も呼んでもらう約束をした。 この夜、プラブハンラトゥのジョーカーって屋台に皆で食事に行った。 ここは、魚を炭火で焼いて食べさせてくれる。 3年前にも行ったがリーズナブルで味もいい。 この帰り道、ベモの運転手が遊郭に行かないかと言いだした。 見学だけでもいいとのことで、とりあえず、社会見学となったのだが、 海岸沿いの一角にずらっーと遊郭が並んでいた。 もっとも、日本とは少し異なりはするが、若い女があちこちから 声を掛けてくるのは同じだ、日本とは違いかなり料金は安い。 しかし、東南アジアでは、近年エイズ患者が急速に増えてるそーな。 チマジャも例外では無く危険、遊郭の女はコンドームを持っていないので、 見学だけでなく本番希望の人は、必ず日本製の物を持参しよう。 一時の快楽のために危険を冒さないほうがいいやろーね。 |
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| 6月28日〜7月4日。波のほうは、ずーっと頭〜頭半のいいコンディションが続いた。 ところが、ハイシーズンということで、サーファーもどんどん増えはじめ、 午後はあい変わらずオンショアが強く吹くという状態にストレスが溜まりだしたので、 パナイタンアイランドにボートトリップに行くことになった。 ニアスで知り合った沖縄のサトシとナツキも4日前にチマジャで合流していたし、 ニセコから来ているガッツとマコトそれにアキオと僕の6人、ローカルサーファーのパルマンの7人で 米、野菜、フルーツ、ビール等3日間分の食料をプラブハンラトゥに買出しに行き、 4日の深夜、ミニバスで船の出る港町スムールに向け出発した。 途中でタイヤがバーストするわ、ドライバーが道を間違えるわ、 道路はニアスよりえげつないわで、 7時間に及ぶロングドライブは地獄そのものだった。 |
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| 日本人6日地、ローカル1人、船のクルー3人の計10人が3日間この小さい船ですごすのは、 少々きつかった。 船室には4人しか入れない、残り6人は、かるい雨よけの有る甲板で寝ることになる。 2泊目の夜、雨が降って大変だった。 それと、トイレが無いのがつらい、小便は問題無いが、大きい方が面倒だ。 まず、重たいハシゴを船の後部にセットすることから始めなければならない。 そして、セットしおえたら、ハシゴを下がっていってしゃがみこむ。 ポイントとしては、おしりが海面ぎりぎりがいい、それより下だと出した物が自分についてしまう。 上すぎると船にいる人と目が合ってしまう。これがなかなか難しい。 悪いことばかりじゃない、とても開放感があって気持ちいい。 海に落とされた物体は、一度水中に潜り、浮上したあと海流に乗ってあっと言う間に 遠ざかっていく、旅立って行くわが子を見送るような不思議な感覚になってしまうのは、 なぜなのだろうか、おもわず達者でなーっといいたくなった。 |
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| 7月6日。波がもっと小さくなり、早々にあきてしまった。 近くの無人島を探検したり、シュノーケリングをたのしんだ。 7月7日。この日も変わらず小さいので、朝から読書をしていた。 船の揺れがだんだん大きくなっているとは思ってはいたのだけれど、 急激にサイズアップしたらしく、船はもう少しで横波を受けるとこだった。 キャプテンもびっくりし、クルーはアンカーをあげ、船は大急ぎで安全な沖に向った。 朝、腰、胸ぐらいだった波がコンスタントに肩、頭くらいになっていた。 まだサーフしている仲間を拾い上げ、沖に向う途中でまた大波が5回船を大きく持ち上げた。 そのまま、ワンパームポイントに移動したのだけれど、 ワンパームは見事に底から掘れ上がるオーバーヘッドのチョーブになっていた。 浅いリーフにヒットして作りだされるパワフルで危険なチューブに思えた。 沖縄のナツキと高知のアキオが入っただけで、僕たちはびびって入らなかった。
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